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2015.02.13

ISILの報道に感じる違和感

いつまでたってもISIL関連の報道の違和感が拭えない。

まず、いまだにISILをイスラム国と表記したり、あるいはイスラム国(ISIL)と表記してイスラム国の呼び名を優先している。
アメリカでは2014年からすでにISILという呼称を使っており、自民党も1月にはISILで統一すると表明しているにもかかわらずだ。イスラム国と言う国があたかも存在するかのように誤解を招きかねないというのが主な理由とあるが、すでにこれだけ報道された段階で誤解する人はいないだろう。しかし、こういった表現の気遣いをしていかないと深層心理で国として認識してしまう。
例えば、「イスラム国」人質事件で政府批判を許さないのは危険だ。田原総一朗は、『「イスラム国」と「準戦争状態」』と言った表現を使っている。「戦争」とは国家やそれに準ずるところ同士の争いをさし、国家に準ずる団体として認めた表現になっている。戦争とかではなく、単にテロ集団の標的になっているということだ。ISILには、国家のような体制があるとして「税金」や「法律」があるかのような表現も見られるが、これらも実態は暴力団のみかじめ料みたいなものであり、特定集団の内部の独自ルールに過ぎない。楽な言葉だし、センセーショナルに取り上げたいのはわかるが、国家間で使われる表現を使い続けると、ISILを国と暗黙に認めることにつながりかねず、その存在感は増し続ける。また、「イスラム国」と表現してしまうと、イスラム教が認めた組織とも思われかねない。これは、敬虔なイスラム教信者にとってはいい迷惑だ。ISILは、周辺のスンニ派・シーア派のイスラム教諸国の政府などから国家として認められていない。そういった意味でISILという言葉を使い続けてもらいたい。

そして、ISILの報道には言論の自由や報道の自由がよく主張されているのもおかしな話だ。
先日も、新潟市のフリーカメラマンがパスポートの返納を求められて記者会見をしていたが、政府としては当然の措置だろう。そもそも、このカメラマンの「報道」という言葉の定義が誤っている。報道とは、情報を持って帰ってきて広くその情報を公開できて初めて報道と呼べるのであって、戻ってこれなければそれは報道とは呼べない。今回の邦人殺害があったにもかかわらずわざわざ危険な地域に行くと宣言している人間を出国させて、再び同様の人質事件が起きてはそれは報道できたとは言えない。
個人的には、強制してでもISILと呼ぶようにすべきで、正しく報道せず単に過熱気味に報道しているマスコミには何らかの懲罰的なものがあっても良いと思っている。言論の自由とか報道の自由は、国では実現できなくてメディア発だからこそ世の中の状況を改善できる要素が含まれているからこそ、守られているのだと思う。そして、そういった状況の改善に少しでも見込があるからこそ、命がけの報道に意義があるのだ。単に世の中の状況を悪化するような報道の自由や言論の自由はいらない。

先に紹介した記事でも「政府に言うべきことは言わなければいけない」とあるが、確かにもっともなのだが、言うべき事がなければ無いでかまわない。野党のように政府のアラを無理やり探して日本政府の地位を下げ、相対的にISILの地位を上げる必要もないだろう。ISILは、メディアを使って確実に国家としての地位を得つつあり、メディアは無責任にISILが国になるように報道の中で助けているように見える。メディアに対しては、もっと報道に気を遣い、ISILのプレゼンスを上げる手助けにならないよう気を使ってもらいたい。


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